ROOTS #1
ADMJ チーフプロデューサーの小林久美子です。
改めて、私の自己紹介を兼ねて自分を振り返り、私のルーツを探っていこうと思います。
1966年に私は東京の下町で生まれました。
母は、ミス. ターザンと呼ばれた運動神経抜群な女性で、9人制バレーで活躍し銀行に入行し、その後父と結婚しました。
父は、書道や絵画が子供の私から見ても上手く器用。美食家で、母と私を毎週末、銀座に食事に連れて行ってくれました。
この二人から生まれた私は、母の真面目で仕事好きなところ、父の美味しいものが好きなところを受け継ぎました。
根っからの仕事好きなこととぽっちゃり体系のルーツは、両親から確実に譲り受けたルーツです。
当時、日本の台所として、築地は繁栄していました。
祖父が築地の場外で商売をしていましたが、早くに他界したことで、[男はつらいよ]の寅さん気質だった父は、家業は他の人や家族に任せていました。
まだ私は歩けない頃から、母がそろばんを弾く姿をみて育ちました。
商売の感みたいなものが無意識に母の背中をみて身につき、今の仕事のルーツだと思っています。
そして、自分たちの力ではどうすることもできない事も事業には起こること、家業はバルブ時の地上げにより暖簾を下ろしました。
小学生時代は、英会話、そろばん、書道、学習塾に通い、オルガンも習い始めましたが、先生が駆け落ちで失踪してしまったことでオルガンは続けることができませんでした。
このオルガン事件で私は『駆け落ち』を知り、自分の音痴のルーツがここにあると今も思い込んでいます。。。
1970年代でしたが、私の通っていた公立の小学校は、90%以上が中学受験をする、いわゆる『スパルタ』公立小学校。
教科書より、先生のプリントのテストや漢字テスト、計算テストを毎日受けていた記憶ばかりがあります。
上り棒を上る速度が遅くて、母が学校に呼び出され、翌日から6時以降の夕食はNG、早朝マラソン。。。
人生初のダイエット、勉強も運動も出来ないと、子供として失格なのだと思ったのを覚えています。
自己肯定力のなさのルーツはここかもしれません。。。
牛乳瓶ほどのメガネをかけ少し太った私は、テストのない大人に早くなりたいと思う小学生でした。
そして下町の小学生は、私立の女子校に入学しました。
同級生は、ピカピカのお嬢様たち。しかしながら、12歳の私は、友情を育み、40年以上友情が続いています。
王道のお嬢様たちは、心も姿も美しいな~と、感じたことを覚えています。
今思えば、少し図々しかったのかもしれません。格差をなぜか感じなかったのです。
そして、不思議なことに私は、テストが好きでたまらない中学生に変わっていました。
小学校のスパルタ教育に比べたら私にとって、中学校の中間・期末テストは、心地の良いタイミングで迎えることができる力試し、とにかく心地のよい中学校生活といっても過言ではありませんでした。
そして、母のバレーボール魂を引継ぎ私は中学1年でバレーボール部に入部することに。。。。
つづく